生きるということ、生かされているということ

ジキルブログ

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11月6日、宮島競艇場10Rの事故で、福岡支部113期の中田達也選手が亡くなりました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

自分以外の誰かの「死」。
身近な方、遠くても親戚、友人、恋人、応援していた方、ご家族。
人は生まれてきた以上、必ず死を迎えるという必然は理解していても、
その死を受け止められずにいる場合が多いかと思います。

死。

ということを考えた時、大きく3つに分かれていると思います。
一つは、老衰。
一つは、突発。
一つは、自殺。

ジキルは何度も他人の死に触れてきました。
歳を取れば取るほど、その確率は単純に高くなります。
誰かの死に触れた時、悲しいし、心苦しいし、泣きたくなること、叫びたくなるほど悔しい事も少なくありません。
相手や死因によって感情の変化はあるにしても、表現しがたい感情が湧き出るものだと思います。

自分に生まれてくる感情が良くわからない。

生物の死という必然に触れると生まれてくる感情がわからずに、ただただ苦しい思いをすることが多かったのです。

自分の感情がわからない。

悲しいのか、苦しいのか、不謹慎だけど楽しいのか、嬉しいのか。

本当にわからない。

それが、他人の死に触れるということです。

ジキルは、他人の死に触れた時、生まれてくる感情の整理がつかない経験をたくさんしてきました。
ある死を境に整理がつかない感情に左右されるより、自分の意志で整理が付けられる感情を持とうと思ったのです。それは、

自分が懸命に生きるということ。
そして、自分が生かされていることに感謝するということ。
誰かを悲しませるから自分で自分を殺めてはならないということ。

この3つの感情を持つようにしています。

生きたくても生きられない。
生かされているのに殺される。
生きることが苦しくて自分で自分を殺める。

人の死というのは、自分の意志とは別の要因によって起きるものだと思う。
誰しもが死にたくて死んでいるのではないと思う。
死にたくなる要因があっても、

本当は、

幸せに生きたいのだと思う。
なぜならば、

須らく人は、幸せになる為に生まれたからです。

自分以外の誰かの死と向き合った時に自分に出来ること。

生きていることに感謝し、生かされていることに感謝する。

そう、思うようにしています。
そう、考えるようにしています。

生まれてきた以上、死に抗えない。

ならば、

今、生きていること、

生かされていることを

当たり前と思わないで、

一生懸命に

今を生きることを再確認しています。


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