ギャンブル依存症の体験談①

競艇かわら版

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始めに

 本記事は、実際にギャンブル依存症を患ったと思われる著者の経験を記事にしています。医者から診断された訳ではないので「思われる」と表現しています。

 パチンコとスロットで作った借金総額300万円。

 消費者金融5社。
 1社50万円×5社=250万円。(ア〇〇、ア〇〇〇、プ〇〇〇、レ 〇〇、武〇〇)

 クレジットカードショッピング枠50万円。
 合計300万円。

 上記にある借入金額は、偽りのない事実です。他の部分におていは、一部フィクションとなっていますので、ご了承願います。また、この記事は、競艇のことは話が逸れるので触れていません。それでなくても、筆者の記事は本筋から逸れることが多いので、あくまでギャンブル依存症の体験談にします。競艇は、ギャンブル依存症とは関係ないと理解してもらえればと思います。

 さて、簡単に借金総額300万円と言っていますが、現在とは違い、当時の消費者金融の年間の利率は、約29%ありました。クレジットカードは覚えていませんが同じくらいだったと思います。現在100万円以上の借入れは、年利率15%と定められています。

 250万円の借入金額の年利率。利息の支払いは年間「725,000円」です。月に換算すると、約6万円です。クレジットカードの利率が、この725,000円に加わります。月に一度、決まった日に返済するのですが、コンビニにATMなどなかった時代です。消費者金融のATMに入金していました。

 毎月、いくら返済していたかは覚えていません。借り入れの返済した分から利息分は取られ、差額分はまた借りられる仕組みになっていたことは記憶しています。すなわち、利息以上に支払った金は、また、引き出せるという仕組みです。パチンコ、スロットで借金をして借りては返す。返せずにまた、別の所から借りることを繰り返す。その時は、ギャンブル依存症という言葉はありませんでしたが、明らかにパチンコ中毒に陥っていたと言えます。

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パチンコ中毒への第一歩

 育った環境にギャンブルに携わる身内がいた訳ではありません。ただ、ギャンブルが好きな家庭でした。花札から始まり、トランプ、麻雀と身内同士で金を賭けて遊んでいた経験は小学生の低学年からあります。中学生になるころには麻雀のルールを覚えていましたし、花札も一般的に遊ばれている種類を覚え、金を賭けて遊ぶということを楽しんでいました。また、家族の影響か、中学生のころは馬券を実際に買ったこともあります。(時効です)賭け事に対する抵抗はなかった子供時代でした。

 また、不思議なことに家にはパチプロの漫画があり、その漫画を読んではパチンコをやってみたいと思っていました。パチンコで生活するという主人公に憧れたというか、恰好良いなという感情が生まれます。パチンコをやりたいという感情は、成長するに比例して大きくなりました。

 高校生になり、ばれないだろうと初めてパチンコ店に入り羽物をやりました。(時効としてください)負けたということだけは覚えています。ただし、こんな楽しいものがあるのかとも思いました。この時、パチンコ中毒になる第一歩目を踏んだのだと思っています。

 高校時代、パチンコをすることを目的としたアルバイトをしていました。趣味の物を購入する目的もありましたが、主たる目的はパチンコをする為です。高校生で既に給料をもらって休みの日にパチンコに行くということが習慣づけられていたのです。部活もせず、アルバイトに明け暮れて稼いだ金をパチンコに使う。当然、負けます。後悔はありませんでした。何故なら、パチンコをする為にアルバイトをしていたからです。勝つ時もありますが最終的には負けるということを理解して遊んでいました。お金が無くなればそれ以上はできないので、歯止めが効いていたのだと思います。

 しかし、パチンコをするという習慣は、就職してから変化をもたらしました。

 金がなければ借りられるという、高校生にはできなかった変化です。

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金は借りられるという変化

 筆者の就職先は、20日間働いて10日間休む仕事でした。そして、年に2回、20日間の連続した休暇を取らなければならない仕事です。実家から離れた場所で就職しました。月の内、仕事をしている20日間は食事が提供され、風呂にも入れて、寝るところもあります。そういう業種への就職なので、借りた部屋は風呂もなく家賃が安い所でした。1ヶ月の内、20日間は仕事で拘束されているのでパチンコはできません。それが、良かったのか悪かったのかは、今思えば悪かったのだろうと思います。

 高卒で得られる初任給では、比較的、多くもらっている金額でした。また、月の内、20日間は食費も光熱費もかかりません。ですから、人が生活するために必要とされる費用は少なく、かつ、年収がそれなりにあったので余裕のある生活ができる環境でした。だから、消費者金融も金を貸したのだと思います。余裕があると言っても、借入額300万円は年収の半分以上を軽く超えていました。

 月に毎回訪れる10日間連続の休み。暇なのです。高校生の時に覚えたパチンコスロットに毎日行きました。自分で稼いだお金なので、生活費以外は全てパチンコスロットに使っていました。お金が無くなればできない。高校生の時まではそうだったのですが、当時、消費者金融のCMが山のように流れており、現金を借りられるのかと思い消費者金融のATMみたいな所に行きました。車の運転免許証だけあれば、保証人がいなくても金が借りられる。疑心暗鬼で向かった無人のATMみたいな機械。

 いくつかの質問に答えると簡単に借りられました。限度額は50万円です。金利など気にすることなく、すぐに返せると思って気軽に借りました。

 地獄の扉が開いた瞬間です。

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借りているはずの金が自分の金に

 借りた50万円でパチンコスロットを存分に楽しみました。その借りた金で飲み屋にも行きましたし、通いもしました。なんせ、10日間の休みが終われば、20日間、仕事で拘束されます。拘束されている20日間は、当然パチンコスロットにもお酒を飲みにも行けません。部屋でお酒を飲むことは出来ますが、基本、24時間待機時間なので、泥酔するまで飲めません。現在のようにスマホもありません。職場での博打は禁止されていましたので、仕事から離れる時は、飯、寝る、少し飲むくらいしか楽しみがなかったのです。というか、楽しみを求めていませんでした。その反動が、10日間の休み方に現れたのだと思います。

 10日連続の休みは毎日パチンコ店に行きました。パチンコ店が閉店になれば飲みに行き、また、朝からパチンコに行く。いくら、生活に金がかからなくても、そんな毎日パチンコに朝から晩まで行っていたら金が持つ訳がありません。

負けても借りれば良いという感情に変化しました。

一社目の借入限度額50万円が使えるお金という勘違いの始まりです。自分の金ではないのに、あたかも自分の金と思うようになりました。

 一社目の限度額到達。まだ借りられるのかなと思い、二社目の消費者金融に向かいます。簡単に限度額50万円が借りられました。既にこの50万円は、借り入れた金ではなく、

 自分のお金と思っています。

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